故・竹中勇記彦先生の葬儀に参列。12時より告別式。
名古屋音楽大学学長として弔辞を読ませていただいた。ここに弔辞を掲載し、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
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弔辞
竹中勇記彦先生に心から哀悼の意を表し、お別れの言葉を述べさせていただきます。
7月19日朝4時36分、竹中勇記彦先生は長い闘病生活に別れを告げ、この世を去ってゆきました。満60歳、享年62歳、お別れをするにはまだまだ若すぎるご逝去でした。職場の同僚として、後輩として深い悲しみに堪えません。
竹中先生に初めてお会いしたのは今から16年前、忘れもしない1996年4月の入学式の朝でした。私が 名古屋音楽大学に赴任して初めて中村区稲葉地町の名古屋音楽大学のキャンパスに出勤した朝でした。
途中、たまたま市バスで一緒になり、なんとなくお互いに気にしながらも、初対面ですから挨拶することもできずにおりました。バスを降りて、入学式の会場に向かう成徳館のエレベーターで一緒になった瞬間に竹中先生が、「今度赴任された高橋先生ですよね?」と優しく声をかけてくださいました。いまでも鮮明にその場面が蘇ります。
これが竹中先生との最初の出会いであり、私と名古屋音楽大学との最初の出会いでした。竹中先生は、その後も、折りにふれ、事あるごとに、優しいお心遣いを与えてくださいました。心より感謝しております。
竹中先生は、武蔵野音楽大学大学院を修了後、名古屋音楽短期大学の非常勤講師を一年務められたのち、1977 年 4 月より名古屋音楽大学に赴任されました。以来、36 年余にわたり、精力的な演奏活動と熱心 な後進指導にあたられました。そのご功績は短い時間でとうてい語りつくせるものではありません。生前のご貢献にたいし、名古屋音楽大学を代表して心より感謝いたします。
竹中先生は、厳しい方でした。なによりも自分に厳しい先生でした。若い頃は他人にも随分と厳しかったと聞いております。ご本人からも懐かしそうに若い時分の厳しかったレッスンのエピソードなどを聴かせていただいたことがあります。
竹中先生は、優しい方でした。竹中先生の厳しさはとても深い優しさに裏打ちされたものでした。たくさんの教え子たちは何よりもそのことを、身をもってよく知っていると思います。他人に対してとても深く優しい目を持っていらっしゃいました。
竹中先生は、つよい方でした。とても強い意思と精神力の持ち主でした。竹中先生の厳しさと優しさは、そのつよさに支えられていたのだと思います。長期にわたるガンとの闘いの中でも、他人に弱みを見せることは殆どありませんでした。自分に対する厳しさと他人に対する優しさが、そうした竹中先生のつよさを支えていたのだと思います。
ご遺族を残して、あまりにも早くこの世を去ることは、竹中先生にとってどれだけか無念であることでしょう。
厳しくあれ!優しくあれ!つよくあれ!
あとに残された私たちは、竹中先生に教えていただいたことを深く噛み締めながら、残された者の責任として、厳しく、優しく、つよく生きていきたいと思います。
どうか安らかにお休みください。
2012年7月22日
名古屋音楽大学学長 高橋 肇
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竹中先生ありがとうございました。ゆっくりと休んでください。
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